十一代目 市川 團十郎

十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。 本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。屋号は成田屋。 定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 昭和4年4月帝劇『源氏烏帽子折』の牛若丸で九代目市川高麗蔵を襲名、名題昇進。昭和11年第一次東宝劇団に参加。昭和15年4月市川三升(十代目市川團十郎)の養子となり、同年5月歌舞伎座『ういらう』の曽我五郎で九代目市川海老蔵を襲名。 来歴.

二代目松本幸四郎の子として江戸に生まれる。はじめ市川梅丸の名で修業し、延享2年(1745年)、市川幸蔵の名で初舞台を踏む。 宝暦4年(1754年)、父幸四郎が四代目團十郎を襲名すると同時に三代目松本幸四郎を襲名。 市川家の御曹司として名を売る一方で着実に実力を上げた。 十一代目市川海老蔵による十三代目市川團十郎白猿の襲名 です。 残念ながら襲名公演は延期となってしまいましたが、見方を変えればお楽しみがちょっと先になったということです。 役者の名前が変わる。 十一代目市川海老蔵氏(本名:堀越 寶世:出生名の孝俊から改名、読みは『たかとし』で同じ)は1977年に誕生。 父は十二代目市川團十郎、母である堀越希実子さんは梨園のおかみさんのかたわら着物デザイナーとしても活躍。 四代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、正徳元年(1711年) - 安永7年2月25日(1778年 3月23日)は、江戸の歌舞伎役者。 屋号は成田屋。 定紋は三升(みます)。 俳名に海丸(かいがん)・五粒(ごりゅう)・三升(さんしょう)・柏莚(はくえん)がある。 周囲からも「十代目市川團十郎だ」と期待された。 そんな新蔵だったが、眼病にかかり失明してしまう。 眼帯をして舞台にも立っていたが、その病気は悪化。 そして37歳の若さで新蔵は亡くなってしまいました。 十一代目・市川團十郎は息子が・・・